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神山監督とタムラコータロー監督が好き。 I've Soundという音楽制作集団のぷち追っかけ。
■009 RE:CYBORG
劇場版009、神山監督の最新作の感想。
※ネタバレを含みます。また、009と003ばかり目が向いてます。
※原作未読、予備知識ゼロです。原作ファンの方は回れ右推奨です。
※怒らないよ、という心優しい方のみ『続きを読む』からお願いします。
※2012/12/02 設定と異なる記述をしていたため、その点のみ修正。



009 RE:CYBORG

『攻殻機動隊』、『精霊の守り人』、『東のエデン』の神山健治監督の最新作──『009 RE:CYBORG』を鑑賞してきました。
原作未読、予備知識なし、正直なところそれなりに楽しければいいかなくらいの、とても軽い気持ちで見に行ってきました。友達に誘われなければ、多忙を理由に行かなかったかもしれません…。(実際ちょっと忙しいんですよね、ここ数ヶ月まったく筆をとれてないし。)

結論から言いましょう。
これたぶんハマったレベルですねー。(笑)

009×003ってなんて略すんですかね。93でいいのかな。
というわけで、いつも通り主人公×ヒロインに偏った感想いきます~。
純粋なファンは本当に見ないでくださいです…ごめんなさい^^;




はじめジョーが冒頭で長台詞というか、本作品のテーマにも近しい重要なフレーズを口にしているところから始まります。舞台は六本木、ジョーは何故かひとり、薄暗く生活感のない部屋でテレビを見ていました。
ニュースには世界同時多発テロ、今回は上海の高層ビルがいくつも爆破され、多くの人々が犠牲になりました。
どうにもこの世界では現在、多発しているテロに世界中が怯えているようです。このテロには9.11も含まれています。(2012/12/02 すみません。このテロは含まれていませんでした。グレートとジェットが最後に会ったのが9.11のようで、その会話を混同してしまってました。)
神山監督は現実世界とのリンクが非常に上手いですよね。『東のエデン』では特にそれは顕著でしたし、意識的にそういう風に作られているようですが、本当に上手くマッチしていると思います。
監督の思惑通り、傍観者ではなく、その世界に存在する誰かとして、映画を楽しめる・経験できる感じがします。

さて、本編に戻そう。

テレビをぼんやり見つめるジョーの瞳には、正義のヒーローらしい光もなく、どこか抜け殻のような印象を受けます。
「先を越されちゃったな」
実に不穏な一言です。これはまあ、そのままの意味なんですが、どういう理由であれヒーローである立場の者が、そういった悪に加担するようなことを口にしていたので、ちょっと衝撃でしたね。
「母さん、出かけてくる。別にデートとかそんなんじゃないから」
誰も居ない部屋にそう残して、ジョーはなにやら物騒なものがつまったバッグを肩に下げて外出します。パッと見、爆弾でした。
六本木ヒルズ、森タワーにて、ジョーはとあるひとりの女の子と落ち合います。
「島村くんから誘ってくれるなんて、珍しいね?どうしたの?」
かわいらしい女の子です。同じクラスの子で、どうやらジョーとは付き合ってるらしい。
ふたりはそのままビル内へ。入館の際、ジョーは手荷物検査を受けますが、バッグの中にはタンブラーがいくつも。警備員の方は目を丸くしてましたが、『スタバがすきなんですよ』というジョーの一言に、詳しい検査をしませんでした。なるほど、確かにそれくらいで通りそうです。

六本木の夜景を前に、腰を下ろしたふたりは、ぽつぽつと言葉を交わします。
「僕はこの高校生活を、ずっと繰り返している気がするんだ…。誰かに見張られている気もする」
「疲れてるのよ。私も、受験のとき、そんな感じだったよ」
「そういうのじゃないんだ。……それに僕は、君と付き合っているけれど、いつから君とそうなっているのかも思い出せない。最低だ…」
「大丈夫だよ」
気落ちするジョーを抱き締める女の子。名前は、トモエだったかな。トモエって名前がどこから出てきたのかは分かりません。
ジョーはトモエの腕の中、ゆっくり瞼を下ろします。この『大丈夫だよ』は、言い方が適切ではありませんが、とても都合の良いものに聴こえました。問題の解決に繋がらないからです。ジョーの不安の解消にもなっていない。なのに、ジョーはその言葉に身を委ねる。ん、と思いましたね。(わざとそうしてるんでしょうけど。)

003ことフランソワーズがジョーを発見し、005ことジェロニモが(ジョーの封じられた記憶を呼び覚ますために)彼を襲撃しようと機を狙っていました。
そこで六本木ヒルズに米軍のミサイルが発射され、直撃。(たしか)でもあれ爆発はしてない? 弾なし的な感じなんでしょうか。うろ覚えです。
混乱する人々。ジョーと目が合う005は、そのまま彼に向かって拳を繰り出します。吹っ飛ぶジョー。
逃げ惑う一般人の中にトモエが居ませんでした。正確には、ミサイルが直撃したところ、005がジョーに向かってきた頃にはもう、トモエは居ませんでした。
ここで私は、トモエという女の子は現実に存在しないのではないか?と思いました。
ジョー以外が彼女を認識している描写がない…ミサイルを受けた時に彼女の姿がなかったこと、ジョーが005に襲撃された時に彼女が居なかったこと、ジョーもまた彼女の身を案じる様子なく屋上に逃げたこと。ここらへんから、トモエは存在しないのだと解釈しました。

屋上へ逃げたジョーは005と対峙します。逃げるしかない。だが逃げられるはずもない。けれど、おかしなことにスローモーションになって005の攻撃が見える。
これはなんだ?と疑問を抱きながら攻撃をかわすジョーは、視界の端に上空から落下してきた003を捉えます。そこで記憶が蘇り、彼女を受け止めるジョー。
「なんて無茶をするんだ」
フランソワーズはジョーを信頼してたんでしょうね。
ヘリから地上へ飛び降りるフランソワーズは、『攻殻機動隊』の素子を彷彿とさせます。あえてそうしてるんでしょう。フランソワーズが大変艶っぽかったです。お尻が。(待て)

「君が来たということは、敵が現れたのかい」
「ええ。そうよ。ギルモア博士からの召集よ」

飛行機の中へ場面転換。
ジョーは洗面所で顔を洗っていたのかな。無理やりに蘇らせた記憶が混乱していて、うまく整理がついていなかったらしい。
そこへフランソワーズが現れて、奥へ消える。かと思えば、実に大胆な格好ですぐさま登場。黒い下着ですよ。ドラクエでいうえっちな下着を装備してるフランソワーズですよ。哀華さん『…!?』ってなりました。
哀華さんがあわあわしているうちに、『私だけまた、三つも歳を重ねてしまったわね…』と呟くフランソワーズはそのままジョーに抱きつき、熱い接吻をかわすふたり。動揺しない高校生(学ラン)ジョーと実に妖艶な美女フランソワーズ。繰り返されるキスに迷いはなく、フランソワーズを抱くジョーにも迷いはない。けどここ、妙にいやらしい感じでもなく、ラブシーンにしてはあっさりしてた。軽くはないけど。
もう哀華さん『!!?…ひゃわわわ(*´∀`*)』いやもうだって、まさかそんなね。恋仲っていうか、ふたり両思いで、記憶戻った途端にこれって。互いをすごく必要していたんだなって。飛行機の中で、別の部屋に005だって居るのに、そんな。にやけた。(爆死)

ギルモア研究所へ。

そこでは001ことイワン、赤ちゃん姿のサイボーグですね。完全な余談になりますが、イワンの声優さんは神山監督作品にはもはや欠かせない玉川さんです。ジュイスです。タチコマです。今回もまた多彩な声色と演技力を惜しまず発揮してくださいました。本当にすごい方ですね。いや、他の声優さんたちもすごかったんですけど、やっぱりジュイスには思い入れも深くてですね…ほわあってなってました。

今回は現代版(神山監督版)009として、設定からキャラデザまで結構変えてあるんだと思うんですが、ギルモア博士は『攻殻機動隊』公安9課の荒巻課長っぽかったですね、どことなく。ポジション的にもそれに近しいものはあったからだと思います。とはいえ、攻殻より指揮官らしさはなかったですけどね。

ここでいろいろ00ナンバーサイボーグたちの、冷戦終結後のあれこれがかいつまんで明かされ、『彼の声』を聴いてテロを計画していたと告白するジョーに不審の目を向けるギルモア博士。
ジョーは002ことジェットとの間に確執がある、というのもここで明かされる。ジョーがリーダーとしてギルモア財団に残ることに、ジェットは納得いかず、現在は祖国アメリカにてがんばっているようです。
まあそこらへんのごだごだがあって、ジェットが単独で『彼の声』を聴いたと思われる者のもとへ向かっていることを知る。
ジョーは001のテレポート能力でそこに飛ばしてくださいとギルモア博士にお願いするが、テロの重要なキーワードである『彼の声』を聴いたというジョーを信頼できずにいた。
ジョーはフランソワーズを人質に、テレポートを(形式的に)強行させる。フランソワーズに何事かを呟いて、ジェットのもとへ。
ここのふたりの描写、良かったですね。信頼があって、フランソワーズに怯えも不安もなく、ジョーを信じましょうとギルモア博士を説得する。
イワンもそこらへんは汲んでいたのだと思います。あっさりテレポートさせましたから。

戦闘機を追いかけるジェットは、唯一、飛行機能を有している。ジョーは戦闘機にしがみつくかたちでジェットと再会。
確執が取り除けないジェットは、邪魔をするなとジョーを追い払おうとする。
「君が『彼の声』と関係ないのなら退こう。でもそうじゃないなら、僕は『彼の声』に加担するパイロットを支援する」
「ジョー…おまえは敵か、味方か!」
そんなことを言ってたかな? 激昂するジェット。ジョーがこう言ったのはわざと。

結局ミサイルは止められず、着弾。ジョーは飛んで逃げられたジェットのようにはいかない。
加速装置を使って逃げ延びるも、荒廃した誰も居ない世界(白昼夢?)で、ひとり立ち尽くす。
「どうして僕だけが生き延びてしまったんだ」
項垂れるジョーのもとに、トモエが現れる。
「大丈夫だよ」
またジョーをそっと抱き締めるトモエ。ジョーは瞼を下ろす。そして現実へ。
ここで流石にトモエは現実に存在する少女ではないと確定、でいいでしょう。
哀華さん最初は、トモエ=フランソワーズが(ジョーを支えるために)見せていた幻影だと思っていたんですけど、どうやらジョー個人が勝手に思い描いていたものみたいですね。
そこはかとなくフランソワーズっぽい面影を私は見たので、記憶を封じられても、ジョーの救いはフランソワーズだったのだと解釈。した。したのよ。はい。そうとしか思えない。
現にこの後の流れで、『僕はどうして生き延びたのか分からなかったけど、今なら分かるよ。君のおかげでね』的なことを言ってました。フランソワーズ想われまくりですよ! 原作というか、これ以外の009は…存じませんが。。。


■大体書いたぞ(いや)(待て)

ここで思い出すの力尽きたので(爆)ざっくり感想していいですか。
他の00ナンバーサイボーグたちに感想としてまったく触れてない気がしますが、今回の映画は009、002、003、の三名にスポットが当たってたと思います。そして哀華さんは009と003に<・><・>夢中状態でしたのですいません。よこしまなファンですみません。こんな気持ちで見てごめん、ごめんなさい…。

ミサイルを一発、迎撃し損ね、ジョーが直接迎え撃つという決断を下す。
そこの展開は読めた人も少なくないと思う。でも、やっぱり泣いちゃいましたよ私は…。
さいごのキスも、繋いだ手も、胸が痛かったわけです。

宇宙でのジョーとジェットの仲直り?は良かったですね。
ジェットはもうだめだと思ったし、ジョーもダメだと思ったけど、なんかラスト生きてましたね。
神の試練とやらに挑んだものへの、彼からの答えが、彼等の生存。なんでしょう。
ハッピーエンドが好きだから、その方向性はいいんですけど、なんか珍しく、ずいぶんと曖昧にぼかしたなあ…という気持ちにはなりましたね。

『東のエデン』のラストでもそうでしたけど、完全な答えは用意してないんです。解釈はこちらの自由ということなのかもしれません。
私は『東のエデン』のラストは前向きに受け止めることができましたし、ああいう終わりで綺麗だったと思います。
ただ009については、この映画しか知識がないので、なんとも言えないんですが…パンフ等を読み漁ると、どうも『ヨミ編』と『神々との闘い編』とやらとリンクさせようとしてるらしいです。

『東のエデン』といい今回の『009』といい、もやっとしている方々はこのスッキリしないラストが納得いかないんでしょう。
分かります。私も『009』はもやもやしてます。神山監督が大好きなので、あまりネガティブなことは書きたくないんですけど、批判ではなくひとつの意見として…。もうちょっと、明確な敵とその結末を用意してほしかったかなあ。芯はあるし、筋もある程度、通ってると思うんですけどね。ラストがぼやぼやで、言葉がわるいけれどご都合主義だったのが残念です><。

でも、009を知らない私からすれば十二分に楽しめました。たった二時間という短すぎる尺の中で、かなりハードルの高い『009』という作品を新しく生み出すこと、相当なプレッシャーがあったと思います。
シナリオの大筋はありふれていたのかもしれませんけど、私はサイボーグという悲しい運命を背負った彼等が、再び自らの正義を探す姿を好ましく思いました。

『東のエデン』で風呂敷広げて丸投げ、みたいな風に言われている部分もあるかと思いますが、見るべき部分はそこじゃないと思うんですよね。
神山監督は現実世界に生きる我々に問いかけてるんだと思います。『このままでいいのか?』と。それを、アニメーションを使って伝えようとしている。
結論を出すのは私たちであって、物語の中の彼等じゃない。いや、彼等は彼等で結論を出すでしょうけれど、そこで結論まで描ききってしまうと、我々はそこで思考を止めてしまう。
「ああ、スッキリした。ハッピーエンドで良かった! 現実だとこうはいかないよね~」
そんな風に終わってほしくないんじゃないかな。意識してる人には『丸投げ』に見えても仕方ないかもしれないし、これは私の勝手な解釈で実際は分かりませんが、神山監督は我々に訴えてるんだと思うんです。『現実を見て、一緒にどうにかしていこう』と。

そこらへんの意識と、今回は非常に難解かつ抽象的な『神』というテーマ、『正義とかなんなのか』という明確な答えのない疑問が相俟って、もやもやしているんだと思います。

例えばね、敵を出してそれを倒せばハッピーエンド、にもできたんだと思うんですよ。
でも、それをしなかった。『ヨミ編』と『神々との闘い編』とリンクさせるため、あえてこうしてる。らしい。
明確な敵を出しちゃえば、それはそれは痛快なヒーローモノとして映画は成功していたのかなと思うんです。ああこれが王道ハッピーエンド、みたいな。(009の作風として、悲運を感じさせない単純なヒーローモノにもできなかったんでしょうけど。)
神山監督なら二時間ぽっちの枠の中でそれもできたのかもしれませんが、そうしなかった。
あえて難しいとされている山に挑んだんですね。挑戦する気持ちを持ち続ける監督って、やっぱりすごいと思います。

原作ファンの中にはちょっと残念だったかな~という方もいると思いますけど、神山監督はこの作品を生み出す上で、決して妥協はしてないと思うんですよね。
原作を知らないので根拠をあげられないのが悔しいんですけど、ある程度の設定ならおさえているし、説明もしている。尺の関係上、どうしても不足してるとこはありますが。
神山監督の描きたかったものからはブレてないんだと思うんです。そういう意味だと、やっぱりこれは別物としてみるのが正解かもしれません。
私のように原作を知らない完全新規開拓組のほうが少ないのかな…? わかりませんが、やっぱり別物なんだと思います。独創的なんですよね、どこか。

だ、だいぶ話がズレました。戻します。(汗)

結局のところ『彼の声』は消えたわけじゃないし、またいつ起こるとも知れないテロに、00ナンバーの彼等とギルモア博士は備えるんじゃないでしょうか。
言うなれば、あのラストは冷戦終結後のサイボーグ00シリーズたちのリスタートなんだと思います。
ジェットも戻ってきたことだし、彼等はまた、姿なき敵と戦い、勇気を持って、平和を守っていくんだと…そういう、リスタートに見えました。

理詰めで終われないラストだったとは思いますけど、それでも私はこの神山監督版009が好きです! 楽しかった!
ジョーとフランソワーズが最後のお別れをするシーンで泣いていたのは私です。
終わった後、誘ってくれた友達に『えっ』という顔をされました。私が神山監督作品で涙用のタオルを持ってこないことなんてありませんよ。(まさか009で泣くなんて思ってなかったけど。笑)

あと、93好きの方の考察をチラ見したりすると、『天使編』やら『誕生編』やらも絡んでる、とも受け取れるようです。
00ナンバーシリーズの何人かが目にした天使のような女の子にはまったく説明がなかったんですけど、分かりやすく『天使』そのもののイメージを出したってことなのかな。

ところでこれ3Dで見たんですけど、2D満席でびっくりしました。
実写+字幕の3Dはオススメしませんけど、アニメーションなら見やすいですし、『攻殻機動隊』で3D映画を手がけている神山監督の作品です。
私は3Dをオススメしますね。2回目以降のどこかは、あえて2Dで見てみようと思ってますけど、3Dの方が立体的というか、躍動的…だと思います。

はやくもう一回、見に行きたいなー♪

戯言にお付き合いしていただき、ありがとうございました。



※同日2012/11/24追記

■記憶のリセット
結論:カムフラージュ
00ナンバーサイボーグの最後のナンバー、009こと島村ジョーの存在は世界的には秘密になっていたりして。
00ナンバーサイボーグたちそのものに危機が迫った時、というのも、ギルモア博士の言う有事の場合に含まれているんじゃないだろうか。
と、どこぞの考察をちらりと拝見したんですが、私もむしろその方が頷ける。
だってその仮定で行くなら、自分が009であるという記憶なんてない方がいいし、ちょっとした危険が迫る程度であれば、監視している003がギルモア博士に相談するなり、自分でどうにかするなりして、危険因子は排除するでしょう。
ジョーってなんだか悩み多き男という印象を受ける。カムフラージュ(任務)のためとはいえ、繰り返し高校生活を送っていたら、ちょっと気がおかしくなりそう。本音を吐露できる相手がいない状況なんだろうし。なんかテレパシーというか、脳波通信っぽいものでフランソワーズとかと擬似的な会話ができるのかもしれないけど、真実にふたをした方が漏れる心配はないし、より安全だ。
ジョーの人権というか意思を無視してるわけじゃなくて、たぶんジョー自身もそれを受け入れているんだと思います。むしろ彼の提案だったりして。ラストの決断が自己犠牲そのものだったので、そんな気がしただけですが。
あとジョーが記憶のリセットを了承していないと、無理やり記憶を呼び覚ました後、ひと悶着あるでしょう。
だからこれは彼自身も納得した上でのリセット。ただ精神は疲れてしまったんだと思う。トモエが居るのは、最後の砦にも近いのかな。

■永遠の高校生
結論:高校生活を送っていない
三十年近くも六本木に在住していて、高校に通い続けるのは、現実問題、難しいのではないだろうか。
周囲の目があるから、誤魔化せない限界があると思うし、あのへんって学校そんなに多いのだろうか。
そもそもジョーは本当に学校に行く必要はなかったし、学校へ通っていた確かな描写はない。
これはもうカムフラージュのための学生服、だと思います。
最初は通ってたのかもしれないけど、三年間フルでずっと通い続けるのは難しいし。少なくとも途中からは学校行ってないんじゃないかな。

☆個人的な願望
テレビシリーズ化してほしい。二時間という枠じゃ00ナンバーシリーズの全員にスポットを当てることは不可能だろう。
時間があれば、もっと深堀りしてくれていたんだと思う。

拍手[15回]

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